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​相談員のMyStory

どうやってここへたどり着き、なぜ相談員をやっているのか?

 私達相談員は全員、皆さんと同じように海外で暮らしています。(または、暮らしていました。) 国際結婚、駐在帯同、海外就労、などなど理由は様々ですが、みんな誰もが、海外だからこその悩みや葛藤をたくさん抱えていました。いや、今もまだ抱えています。

日本で暮らしていたら分からなかったこと、知らなかった事もたくさん経験しました。 でも、だからこそ皆さんのお話に共感し、時にはちょっとだけノウハウなどもお伝えできるのだと思います。

そうなんです! 今は相談員という役割をしている私達も、 皆さんと同様 「海外という同じフィールドの上に立つ、悩める人」なんです。

そんな私達が、どうやってここへたどり着き、なぜ相談員をやっているのか、、? それぞれの「マイストーリー」を書いてみました。

一人一人のドラマの中に、皆さんの海外生活のヒントになるエピソードがあれば、幸いです。そして、そんな相談員に、是非あなたのお気持ち、考えている事など、気軽にお話し下さい。 zoomで!メールで!お待ちしています。 思いを込めて書いた、相談員達のMyStoryを是非ともお読み下さい!

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Vol.21 美千代 (2020/11/09 up)

私がこの国を好きなのは、どんな人でも自分の居場所を見つけられる、そういった懐の深さみたいなものがあるからです。ここヨーロッパには、いろんな価値観を持った人、考え方の人、生活スタイルの人がいて、その中で「あなたの考え方は私は理解できないけど、あなたはあなたのままでいいよ。私は私のスタイルで行くから。」といった、お互いの存在を認め合う暗黙の了解があるのです。 この国に来て30年以上が経ちましたが、この事に気づくまで20年はかかったと思います。 それまでは、日本の文化、日本の和の心の素晴らしさだけに捉われて、現地のサービスの悪さや、不便さばかりが気に障り、自分で自分を不幸な思考に向かわせていました。 日本人が海外で馴染んで楽に暮らせるようになるには、予想以上に時間がかかるものです。 生活のノウハウは短期間で覚えうまくやっていけても、日本人のアイデンティーを持ち合わせながら、その国の人のアイデンティティーを理解して受け入れることが大事なのに、それには時間と様々な経験が必要です。 海外生活では、誰もが様々なトラブルや人間関係の問題にぶつかると思いますが、どんなに辛い経験でも、後であの時の出来事が今の自分に繋がってるなぁとか、あの時に学んだことがすごく役立ってるなぁと、その出来事に意味があったと思える時が来るものです。渦中にいる時は、「そんなものいらない!そんな慰め通用しない!」と思ってしまいますが、私が一番みなさんにお伝えしたいのは、このことです。 国際結婚、子育て、外国人コンプレックス、言葉、離婚、仕事、人間関係・・・私もすごく弱々しかったので、何回も何回も辛い経験がありました。今、自信を持って言えるのは、それが全部、今の魂の成長に繋がっているということです。 辛く、どん底経験の時、私はこれからどうやって生きていけばいいのか?自分がいかに弱い人間だったかを思い知った時、自分のコンプレックスが導いてくれたのが、今の仕事です。言葉にコンプレックスがあった私が、今は「医療専門通訳」です。日本で学んだ医学知識を活かして、同じ様に海外で言葉に困っている日本人の方々の役に立てるかも、と思い踏み出しました。。 医療通訳の仕事をして20年になりますが、たくさんの患者さんと接していくうちにとても気になったことがあります。海外に住む日本人にしか理解できない様なメンタルな問題を日本語で話して理解してしてもらい、更にサポートしてくれる機関がほとんどないことでした。 そういう中で、偶然に「海外こころのヘルプデスク24時」のサイトに出会い、相談員として活動に参加させていただいています。問題がこじれないうちに、是非些細なことでも打ち明けられる場として多くの方々にご利用いただきたいと思っています。

Vol.20 mary (2020/10/26 up)

悩みに悩んだ末、20年超勤めた会社を辞め、ブラジルで単身赴任する夫に合流した時は、かなり覚悟をして来ました。退職と同時にフリーでキャリアコンサルタント&FPの仕事を始めてはいましたが、ブラジル内ではビザの関係で就労は出来ず、実質、人生初の無職となりました。専業主婦をするのも初めてで、夫を送り出してから、時間はたくさんあるのに、これといってする事は有りません。仕事柄、沢山の事例も見ていたので、頭では理解していたのに、案の定 「私って、ここでは何の価値もない」 と、アイデンティティを見失いました。 以前海外に住んでいた時は、現地で働くことが出来たので、こんな気持ちになったのは、今回が初めてでした。日々、パソコンの前で「何か私に出来ることはないかな?」Click! Click! 今となっては、どこをどう探したのかは忘れましたが、まもなく、この「海外こころのヘルプデスク24時」の相談員募集を見つけ、すぐに応募しました。 私にとって、自分を見失っていた時間にも意味があるのだと思えたのは、ヘルプデスクの活動を始めてからです。どんな理由にせよ、海外に暮らすという事は、本当にそれだけで大変な事です。日本に置いてきたものの大きさを感じながら、移り住んだ国では、何でもゼロからスタートしなくてはなりません。海外では、日本よりも上手く行かないことも多いです。今までの常識も通用しないとなると、本当は自分は何も変わっていないのに、自信を失い、喪失感が大きくなることも当たり前!と、実感出来たからです。 また一方で、環境が変わり、立ち位置が変わったからこそ、見れた景色も有りました。知らなかった世界にも触れ、その1つ1つの体験は、あの時勇気を出して、ここへ来ると言う選択をしなかったらなかった事です。だから、人生は面白い!可能性無限大です。 共に海外に住む仲間として、「心を耳にして(傾聴)」お話を伺っています。少しでも皆さんのお役に立てれば、と言う気持ちと同じかそれ以上に、今では皆さんから教えていただく事もたくさんあります。感謝とワクワクの気持ちで、今日もヘルプデスクでお待ちしています。

Vol.19 リン (2020/10/5 up)

海外旅行好きだった母に連れられて色々な国を旅してみて「また来たい!」と思った土地はたくさんありましたが「ここに住まなきゃ!」と感じたのはカナダだけでした。こうと決めたらやり通すのが私の強みです。とにかく一年間、ここで行かなかったら一生後悔すると思いましたし、何より十年、二十年経った後「あの時お母さんが行くなと言ったから私は日本に留まった。カナダに行っていたら私にはもっと違う人生があったはず」と果たせなかった夢を持ち出して母をなじる自分が想像され、そんな卑怯で母を苦しませる事は絶対にしたくないと思い渡加の決意を固めました。正直なところ心の奥底では、右も左もわからないカナダに一人で住むのが少し怖かったから、誰かに強く引き留めてもらえたら行かずに済むという思いが頭をよぎった事もあったのですが、失敗も成功も自分の責任という信念を捨て、自分の弱さを人のせいにして逃げるのはどうしても嫌でした。 どうにか親を説得し取り敢えず一年間の予定でカナダに来て、気付けば既に二十数年経っていました。(笑)人生って必ずしも思い描いたようにはならないものであり、だからこそ想像もしなかったような素晴らしい展開があったり、知らなかった景色が見えたりもするんですね。この二十数年間、行き場も無い、わかってくれる人もいない、こんなはずじゃなかった等々、何度となく苦しい思いもしてきました。極貧生活、孤独、文化と言葉の壁、我ながらよくやってきたなと自分を褒める部分も多々あります。でもね、私一人だけで乗り越えられたわけじゃないんです。苦しい時に助けてくれた人、励みになった思い出、気を紛らわしてくれた何か・・この世界に生きていたら絶対に一人っきりって無いんですよ。それを何度も何度も繰り返し教えてもらえた気がします。これまで私が助けてもらった分、今度は私がお返しする番なんじゃないか、そんな思いでヘルプデスクの相談員を志望しました。聞いてくれる人がいる、日本語で話せる、それだけで気持ちが落ち着く時ってありますよね。皆さんにお伝えしたいのは、今感じている怒りも苦しみも悲しみも一生同じ形でずっと続くものではないという事。それと、辛く苦しい感情や痛みを無かった事にしない、一人で抱え込む必要はない、助けを求めるのは負けじゃない、愚痴を言うのは恥じゃない、私はそう思っています。相談員として、オープンマインドで、ヘルプデスクであなたをお待ちしています。

Vol.18 なつこ (2020/9/21 up)

たまたまグリーンカードが当たり、大慌てで仕事を整理し、日本と行き来がしやすいという理由で、ハワイに移り住みました。 日本では、自らカウンセリングルームを開く傍ら、大学の非常勤講師として教えたり、週末や夕方以降の時間帯はカルチャーセンターや地域の公開講座などを担当していました。かなりギッチリ仕事をしていたので、移住に伴ってそれら全てがなくなってしまい、定年退職後のモーレツサラリーマン的な(死語かな)状態に陥っておりました。 長いキャリアはあったものの、ハワイでは現地の資格がないためカウンセラーとしては働けません。そこで、震災支援を行う団体や、親や身近な人との死別や離別体験をした子どもたちのグリーフサポートを行うNPOでボランティアを始めました。今までしてきたカウンセリングとは全く違うセッティングで、子どもたちへの関わりに新しい視点を得ることができました。また、大勢の人と共に大きな意味でのサポートに携わるということも、新たな経験にもなりました。 しかし、思いのほか生活は大変なことばかりでした。実は、海外生活は初体験。洗濯機の水漏れで部屋中水浸しになったり、車を買いに行ったらその場でいきなりキーと車を渡されて、奥歯を噛みしめながら必死でハイウェイを走りました。海外で運転などしたことありませんでしたから。 「なんでこんな目にあうの?」と思うことの連続でしたが、やっと最近、予定通りにモノゴトが運ばないことや、欲しいものがすぐに手に入らないことなどが「当たり前」と感じられるようになりました。 そんな頃、友人の紹介で「海外ヘルプデスク24時」を知りました。私の経験を役立てることができるならと思い、参加しました。言葉の壁や未知の場所で暮らすことのストレスなど、自分が体験したからこそ気づくことも増え、グループ名に「海外」と付いていることの意味を感じています。 ご相談時間は、じっくり「お話を聴く」ということが中心です。自分自身の気持ちの揺れを感じながら、相談者さんと一緒に、今、ここでの思いを共有することで、私自身も様々な生き方や、新たなものの見方を「発見する時間」を過ごしています。

Vol.17 ロケたみこ (2020/9/7 up)

日本では15年間、大学病院や総合病院で看護師として働いていました。救急病棟から終末期病棟までありとあらゆる分野を経験し、新人看護師や学生指導もしていました。仕事は大変でしたが、充実した楽しい毎日を送っていました。

ベルギー人の夫と結婚し、2児の男の子にも恵まれ、これからも日本でずっと暮ら していくのだろう、そう思っていた時に、東日本大震災が起こりました。人生は 何が起こるかわかりません。震災をきっかけに、家族でベルギーに引っ越しすることになったのです。子どもが4歳、6歳の時でした。

「英語ができればなんとかなるだろう」その時は、そう気楽に考えていました。しかし、実際は、全く英語が 通じないベルギーで言葉の不自由さを感じ、友人もいない孤独から、「自分は何の役にも立てない存在」と徐々に思うようになりました。さらに食・文化・環境などの違いから、知らず知らずにダメージを受け、落ち込み、ふさぎ込んでいた 時期もありました。

しかしそんな中、看護師時代からずっと学び続けていた心理学が私の支えになりました。それを礎に、さら にアドラー心理学を学び、自分の心を癒し、整えられるようになりました。実践するうちに、「すべては自分で決めてきたこと」「これからの人生も、自分で何でも決めていくことができる」そう思考が転換したことで、真っ暗やみの 生活に光が差し始めました。

そこから、私と同じように苦しんでいる人の話が聞けたらと、アドラー心理学をもとに講座を開催し、海外生活や子育て相談などの活動を始めました。

そんな時に「海外こころのヘルプデスク24時」に出会ったのです!海外にいると 孤独に襲われることがあります。でも、「一人じゃないよ」「誰かに話を聞いても らうだけで安心できることもある」「ともに海外に住むもの同士助け合っていこう」という、代表の志に感銘しました。

少しでも私の経験を活かしなが ら「ほっとできる場所」になれたらいいな、今はそんな気持ちでボランティアに参加 しています。

Vol.16 スマティ (2020/8/24 up)

私の母は子育てがひと段落してから、企業や学校で心理カウンセラーとして勤務したり「いのちの電話」のボランティア相談員をしていました。バスと電車を片道1、2時間乗り継いで、死にたくなるほど追い詰められた人の話を聞くなんて、きっと気が重くなる仕事なんだろうと勝手に想像していました。ところが母は「この仕事をしているから私はなんとかやっていける。」「ボランティアは自分のためにしているのよ。」と繰り返し繰り返し私に話し、20代の当時の私は信じられないけどそういうものなんだ、と聞き流していました。
それから10数年経ち、家庭の事情で大好きだったシンガポールを離れ、慣れないアメリカでの生活に四苦八苦していた頃、オンラインでこのヘルプデスク相談員募集を知り「私はこれをする!」と自然に思えました。 相談を受けるうちに、確かにとても重たい話や苦しい話もあるのですが、相談者さんの「よりよく生きたい」と思う内に秘めたパワーを感じることがあります。また、寄り添ってお話を聞くことにより相談の最初と最後で声色が明るくなっていることに気づき純粋に心を打たれることがあります。誰かの役に立ちたいと思って始めた傾聴が、逆に私がパワーをもらっているというのは本末転倒な気もしますが、おそらく心を込めて聞く・安心して何かを話す/放す行為には、お互いに良い作用があるのでしょう。
私のことを少し知っている人からは、スマティさんは海外経験が豊富でいいね、〇〇ができてすごいね、〇〇でも〇〇でも活躍していてオールマイティーだね、とアクティブでキラキラして人生に悩みのない人と受け取られがちですが、私自身は幼少期から機能不全家庭で苦しみ、自己肯定感がゼロどころかマイナス、常に劣等感の塊、周囲が羨ましくてしょうがなく、30代半ばまで心身ボロボロでよく生きていたなぁと思います。本当に最近になってやっと少し違う自分の捉え方が出来るようになってきたところです。
だからこそ、海外で今苦しい状況に追い込まれた方には「大丈夫だよ」「充分頑張っているよ」と複数の視点を持つお手伝いとエールを送る活動をしていきたいと思っています。

Vol.15 マコ (2020/8/10 up)

私は現在、カナダ人の夫と14歳の息子と共にオーストラリアに住んでいます。これまで世界6カ国、13都市で暮らし、海外生活はかれこれ24年となりました。人生で引っ越ししたのも30回以上となりました。 そんな中、その時々の苦労や悩みも、今となっては全てが大したことではなかった気がします。ひとつずつの出来事にはもちろん深い意味があるし、それは語りきれないのですが、こうして振り返ってみると、何事もなかった気さえしてくるので、不思議です。 しかし、このように目まぐるしく変わる環境変化の中で、私はたくさんの人にも出会いました。そして、その人達との関わりや出来事から学んだことは数え切れません。 現在は、ライフコーチの仕事をしています。自分らしく、健康で、美しく、幸せな人生を生きたい方を応援しています。 私はこれまで、英会話教師、通訳、ガイド、ウエディングフォトグラファー、オフィスアシスタントなど、その時その時に出来ることにトライしてきました。その事にもたくさんの学びはありましたが、昔から人の心、考え方、行動、発達、脳のしくみに興味があり、心理学を学んだ時、あることに気づきました。 これまで私が海外で出会った人々の事を思い返すと、どんな人が元気でいられるか分かって来たのです。内面と外見、心と体は影響しあっている事も、その人達を見ていて納得しました。在りたい自分で、生きたい人生を選ぶ!それが大切だとつくづく感じ、今の仕事を元気いっぱいやっています。 これまでも海外ではボランティア活動をしてきましたが、代表が知り合いだったこともあり、ヘルプデスクの活動について聞いた時、「私の過去の経験やスキルが活かせるのではないか?」と思い応募しました。何度海外に住んでも、そこには大なり小なり悩みは尽きないもの。日本語で気楽に話せるこの活動に、微力ながら関わり、誰かのお役に立ちたいと思いました。私のこれまでの経験を活かして、相談者さんの心に少しでも寄り添うことが出来たら嬉しいです。

Vol.14 陽子 (2020/7/20 up)

私の生まれは東京の下町で、「チャキチャキ」って表現が当てはまる様な地域です。子供の頃から地元のお祭り日程を基準にした暦で生きてる様なところがありました。お御輿大好き!周囲のお友達もみんなそんな感じでした。日本では、音楽業界のど真ん中いました。バブルがはじけるちょっと前、と言う様な時代だったので、面白い経験も沢山させて貰いましたが、忙しい職種のため、普段はまともな休日すらままなりませんでした。が、ある時突然、仕事のエアポケットみたいに、なんと5年ぶりに長期休暇が取れました。思い付きで一人旅に出て、トルコで出会った主人と、2年間の遠距離恋愛を経て結婚&移住。都会のど真ん中の生活からカッパドキアの田舎の町へと、本当に不思議な大転換でした。今思うとアッラーのお導きだった、としか思えません(;^ω^)。文化も言葉も宗教も違う国で、それでも温かく受け入れてくれた義実家との生活を経て、イスラム教への改宗を決意。その信仰や自分なりの考えや孤軍奮闘ぶりはnoteに綴っていますので、読んで頂けたら嬉しいですhttps://note.com/summersmile/n/n2e41577d120c)

現在は、現地で仲間と個人旅行専門の旅行代理店を経営しています。イスラム教の国ですが、外国人女性が起業することだって出来るんです。そう言う意味では、文化も宗教もジェンダーも乗り越えて今があります。
そんな折に、地球市民塾と言うセミナーでヘルプデスクを立ち上げた秋田まきの講演を聴きました。講演者と参加者の交流の時間もあり、私の中にふと、思いが浮かびました。今までは周囲の経験者や先輩方の後を追うようにして色々な困難を乗り越えてきたけれど、今なら、自分も誰かのお役に立てるんじゃないか、と言う気持ちになっていたところだったのです。講演の後、個別にコンタクトが取れるようになり、「是非、ヘルプデスクに参加したい」旨をを申し出ました。海外に住む中で様々にぶち当たる壁、柔らかい物も固いものも高いものも低い物もありますね。乗り越えたり、壊したり、壁抜けしたり、抜ければ抜けるほど新しい視座が手に入ります。そんな経験を皆さんと、ヘルプデスクを通して共有出来たら嬉しいと思い、活動をしています。

Vol.13 なほ (2020/7/6 up)

初めての海外生活、メキシコ行きは夫の駐在に伴いスタート。日本での準備期間では会いたい人に会い、行きたい所へ行き、学びたいことを学ぼうと活動的でしたがどうしてもスペイン語だけは身が入らず、現地で実生活で学ぶことに。苦労の連続で思いが伝わらないもどかしさにじれったく思ったものの、その分、感覚をフルに使ってコミュニケーションしていく貴重な経験となりました。「語学は暗記が命、頭で学ぶもの」と思っていましたが「生の体験・気持ち・非言語コミュニケーション」の大切さを知り感動!これはその後出会った「学ぶ言葉だけで言語習得する“直接法”」の土台になりました。 メキシコ人からはよく「日本の文化はとても魅力的」と言われたのが印象的だったので、相手の名前を漢字で書いてプレゼントしていました。例えば、ジュリアン→寿里庵とあて字、漢字の意味と解釈も説明するととても喜ばれます。漢字はハッピーな意味になるように考えて、おめでたい『寿』、故郷の『里』、輪になって集まる場所『庵』という風に。 今振り返っても人生初の海外生活を陽気なお国柄メキシコで送れたのはとてもラッキーだったと思いますが、もちろん海外特有の危険や不自由さなどダークな部分もたっぷり。日本では考えられないようなことも「ここでは当たり前!」と思って暮らした日々は緊張感であふれ、忘れかけていた野生の勘(?)が磨かれたようでした。 そんな生活にも慣れてきた2年目の秋、メキシコ大地震が起きました。地震といえば3.11の時は東京都内で働いていて、怖さと日常のありがたみを痛感。これをきっかけに心をしなやかに持つ大切さを学びセラピストとして活動していましたが、またしても同じような流れに。偶然、海外こころのヘルプデスクと出会い、メキシコ地震を機に立ち上げることになったと聞いて「やっぱり心の置き方は大事、こんなシンクロもあるんだな」と思い相談員となりました。 また、海外生活を始めてすぐ感じたのは、自分にとって本当に必要なものがハッキリと見えてきたこと。なんとなく当たり前に使っていたモノを容易に買えなくなったことで「ずっと、何も考えずに身の回りの物を選んできたんだ…」と愕然!笑。日々使うモノ達を見つめ直すうちに「心と身体が喜ぶものを選んであげたい!」と、考え方をガラリと変えました。海外に出なかったら一生気づかなかった事かもしれません。 帰国後はこの経験を活かしてハーブやヘルシーフード、コスメを扱う仕事につき、心と身体に優しいものを通してライフスタイルを提案しています。 メキシコ生活はドタバタでありながら楽しく、大きな影響を与えてくれました。嬉しかったことも涙したこともひっくるめ、愛しい日々を振り返る度、今後も人生のヒントをたくさんくれることでしょう♪ これからもヘルプデスクを訪れた方が海外生活をより豊かに過ごせるようになる、そんな場所にしていきたいと思います。

Vol.12 ショコ (2020/6/21 up)

私は今、夫の海外赴任に家族で帯同し、この4月で5年目を迎えました。高校を卒業後、アメリカの大学へ留学して以来、2回目の海外生活です。同じ海外生活ですが、ここまで悩むことが変わるとは思ってもみませんでした。 1度目の留学は、自分の意志でしたが、何も喋れないまま、知る人もいない海外の地へ飛び立った時は、不安もいっぱいありました。でも、目指しているものがはっきりしていたので、無我夢中で、卒業時期もはっきりしていたため、やる事に集中していました。 初めは言語が全くできなかったので、「話せないのなら待ってられないわ」と追い返され、文化の違いなのか、性格なのか、何がこんなに噛み合わないんだと苦しんだこともたくさんありました。恋愛においても色々ありました。一時帰国から戻ったら、外国人の彼氏の家に知らない女の子がルームメイトとしていたり!なんてこともあり、今となっては笑い話ですが、その当時は悩みました。(笑) そして何よりも、世間知らずの私が親元から初めて離れた生活は、誰を頼ればいいのか困りました。とはいえ、日本の家族に話しても、海外生活はおろか、海外旅行もほとんどしたことがないので、理解してもらえそうにもないし、ただ心配させるだけなら相談しない方がいいと、戸惑うばかりでした。 今回、2度目の海外は子供たちも一緒の帯同生活。 物理的な孤独感はないものの、やることもなく、働きたくても働けないと言う、自分の意思とは反した生活を強いられ「喪失感」を感じたり、自分の「存在意義」が分からなくなりました。 一方で、明確な理由を持ち毎日働いている夫に悩みを相談しても理解をしてもらえず、「愚痴」にしか聞こえないようで、夫婦関係がぎくしゃくすることが何度もありました。金銭的には留学生活よりも楽で、何でも不自由なく手に入る暮らしなのに、なぜこんなにも心が満たされないのか。解放感溢れる海外の雰囲気の中にいるのに、なぜこんなにも束縛感を感じるのか、という日々でした。 そんな中で『同じ悩みを話せる場』に出会い、私の世界は一気に変わり、気持ちが楽になりました。自分の視界がいかに狭かったのかと、人と話すことで気づかされ、落ち着く感覚を味わいました。 私と同じように、悩んでいてもなかなか打ち明けられない方が世界中にたくさんいるんじゃないか。少しでもそんな人のお役に立てたらと思っていたところ、世界のどこからでもアクセスできる『ヘルプデスク』を知り、そのまま相談員に応募しました。 活動に参加して1年半ほど経ちました。お聴きする悩みは色々ですが、誰にも相談できず悩まれていた孤独感は共通していて、勇気をもって話してくださる事に、「ありがとう」といつも思います。他の多くの相談員も、色々な経験を通し誰かのために何かできればと、同じように思っているのではないかと思います。 小さなお悩みでもかまいません。気になっていることがあれば、気軽にヘルプデスクにご相談くださいね。

Vol.11 エイミー (2020/6/8 up)

私とヘルプデスクの出会いは、「オンライン公開交流会」があることを知り、オンラインカウンセリングの様子を伺おうと思って参加した時に始まります。 現在ではオンラインを使って、子育てに悩むお母様達をサポートしている私ですが、当時は「対面」でするセッションやワークショップにこだわっていました。対面は相手のしぐさや表情をしっかりと見ることができるメリットを感じていたので、直接お会いしてカウンセリングをしていましたが、デメリットもありました。 それは相談者さんも私も、いつ転勤になるかわからなく、カウンセリングの継続が難しい状況が起きることでした。 セッションを中断し別のカウンセラーさんと継続するか、セッションを終了にするか決める必要があるため、ちょうどオンラインカウンセリングを検討していた時、ヘルプデスクの交流会に参加したのです。 初めは緊張しましたが、相談員の皆さんが優しく暖かく迎えてくださり、気づいたら私は、オンラインで初めて会う方たちに、自分のことをペラペラと話していました。 その時感じたのは、オンラインでも対面のようなサポートはできる!という事。そして「母語で聴いてもらうことの大切さ」「同じ志を持つ方とつながる大切さ」に気づいたのでした。 海外生活は日本に住んでいた時より、出会いと別れが多く、せっかく仲良くなってもすぐにお別れなんてことがあります。 でもオンラインなら地球のどこからでも、つながることができ、一緒に話をする事が可能です。 たとえ、新天地へ移動になったとしても、オンラインでのつながりがあれば、心の居場所があるので、慣れない土地でも不安が和らぐように感じます。 それでも、実際に移動するときは精神的、体力的にも大変ですよね。 そんな時、ほんの少しだけでも、誰かに心の内を話すことで、気持ちがラクになることがたくさんあります。 もちろん家族や友達に話すのもいいですね。 でも、時には身近な人だからこそ、話しづらいこともあると思うんです。ヘルプデスクに出会った頃の自分と重ねて合わせて、そう思います。 そんなときは、ヘルプデスクに頼ってみてくださいね。お待ちしています。

Vol.10 みちこ (2020/5/18 up)

私はアメリカ留学中に、スイス人の今の夫と出会い、結婚しました。当時は、卒業した大学でアルバイトをしながら大学院へ進む準備をしていましたが、妊娠が分かり、夫の国・スイスに移住することに決めました。 もともと私が 留学したのは、アメリカの銀行で働くのが夢だったからです。この時は、夢半ばでアメリカを去ることになりましたが、スイスには銀行もたくさんあるし、などと思っていました。しかし、実際には仕事どころではありませんでした。 初めての子育てなのに、言葉がわからないし、医者に行くにも夫の助けが必要という不自由な生活でした。日本の友人は「海外の生活、ハーフの子供なんてかっこいい」なんて言っていましたが、そんなものではありません。夫や義理の家族との価値観の違い、そして理解してもらう苦労、言葉の問題も大きかったです。そして、海外で、一人で子育てをするということで、辛く、寂しい思いの中で10年以上を過ごしました。 そんなある日、ひょんなことがきっかけでスイスで知り合った友人とオンラインセミナーを開くことになりました。それを機に、オンラインでの仕事をするようになったのですが、「海外で活躍する日本人に話を聞く」というそのセミナーにゲストとして参加し、「海外こころのヘルプデスク24時」の活動について話してくれたのが、代表の秋田まきさんでした。 活動のお話を聞き、思いました。「昔の私のように、海外で一人ぼっちだと思ってる人が今もいる!そんな人の話を、私は聴くことはできるかもしれない!」と、すぐに、まきさんにお願いして相談員の仲間に入れてもらいました。 今はインターネットを利用して、場所を超えたつながりが可能です。どうぞ一人で抱え込まずに、気軽にお話しにいらしてください。人と話すだけで気持ちが切り替わり、前向きになる事が出来ます。ひとりでがんばらなくてもいい!だって、海外で暮らすあなたは、もう十分頑張ってるから。 もっと気楽に行こうよ!!Take it easy!

Vol.9 Masako (2020/5/3 up)

もともとカウンセラーの仕事をしていましたが、海外へ来てからは日系の企業に勤め、そして長男が生まれると迷わず専業主婦になりました。 初めての出産と子育ては学ぶことが多くて、それなりに充実感を覚えていました。しかし、二人目を産んだころから、子供を預けてパートに出る友達や、以前の同僚の話をきくたびに、なんだかモヤモヤ。子供達は可愛いけれど、満たされない。仕事もキャリアも無く、両親に対して恩返しが出来ない罪悪感で一杯でした。 いつのまにか、夫婦関係にも危機感を感じていました。このままではいけないと、以前勉強した心理学やセルフヘルプの本などを読み漁り、いろいろ模索するうちに、 「やはり私はカウンセリングが好きだったんだ」ということを思い出しました。 そんな頃、ヘルプデスクの存在を知りました。自信を失いかけていた私にとって、このボランティアをすることは、忘れてかけてしまった何かを取り戻せるように思えました。 私たちは、家族が出来るといろんなことで妥協します。特に海外だと、仕事や住まい、人間関係など、自分の「好き」だったものを妥協して「とりあえず」のもので埋めてしまいがちです。私にはそれがキャリアでした。大好きなカウンセリングではなく「言葉の壁があるから」と無難な日系の企業に就職し、そして専業主婦になってからは、さらにいろんなことを我慢していました。それが、モヤモヤやイライラの原因だったことに後から気付いたのです。 今では、大好きなカウンセリングを仕事にできて毎日充実感を感じています。以前のようなモヤモヤや罪悪感も感じることはありません。ヘルプデスクのボランティアをはじめたことがきっかけで、私の人生のドアが開いたような感じです。 「海外にいるのだから」とやりたいことをあきらめてしまうと、心は満たされません。もし子育て中であれば、その心の状態がそのまま子育てに影響します。 どうしたらいいのかわからないときは、周りの人でもヘルプデスクでもいいのでぜひ相談してみてくださいね。

Vol.8 Tommy (2020/4/20 up)

私は、「傾聴のパワーを知って」今ここに居ます。 普段は、ヨガインストラクターをしています。クラス終了後、生徒さんがヨガに関する質問以外にも、悩みを打ち明けてくれる機会があります。初めは自分には経験のない話もを聞くこともあり、どうアドバイスしていいのか悩む事もありました。でも気づいたのです。みんな自分の話したい事を話し終えると、こちらが何も言わなくても、スッキリした感じで帰っていくのです。初めは戸惑いましたが、やがて、生徒さんは意見やアドバイスを必要としているのではなく、安全な場で自分の思いを打ち明けたかっただけなのでは!と感じるようになりました。 そんな頃、このヘルプデスクの存在を知りました。駐在員の妻という立場で生じた悶々とした思いを聞いて欲しくて、相談者として利用しました。その時、私の取り止めのない話を、ただただ聴いてくれた相談員の方。話し終わった時、心の中がだいぶ軽くなったような気がしました。 過去に鬱や流産を経験し、その渦中、心配してくれた周囲の人々がアドバイスや意見をしてくれたのですが、言葉が全く入って来ませんでした。私の事を心配して言ってくれているのに、どうして私は受け入れられないのだろうと、逆に自分を責めたりもしました。そして心の中の孤独感が強まっていきました。そんな経験をしてからは、誰かに自分の気持ちを話す時には。心のどこかで“話にオチをつけなくては”とか“相手が飽きないように話さなくては”とか考えていました。しかし、ヘルプデスクではそういった気負いも不要で、相談員の方がただただ私の話を聴いてくれたのです。 そして、この「傾聴」をしてもらってからは、「人は答えが欲しくて話すのではなく、ただ聴いて欲しいだけ」の方が多いのではないかと思うようになりました。 興味があって読んだ本にも、思い当たる事がいくつも書かれていました。人は誰かから思いを打ち明けられると、自分の過去の経験を引っ張り出して話題を自分のものにしてしまい、打ち明けた人が話す機会を奪ってしてしまうことがあるとか、または、誠意ある精いっぱいのアドバイスでも、相談者にとっては全く見当外れなことがある、という事も知り、ドキッとしました。その後、経験と知識を深めていくにつれ、ますます「傾聴のパワー」というものが確信になっていきました。 ちょうどその時に.、ヘルプデスクで相談員募集の掲載があったので、思い切って応募してみたのが、私の相談員としての始まりです。 人は他人からのアドバイスに従うことはほとんどなく、多くの場合、自分の気づきによってのみ変わっていけるのではないか、と感じています。「傾聴」を重んじるこのヘルプデスクで相談員として、世界中で頑張っている日本人が安心して本音を吐き出せる場作りをさせていただきたいと思っております。 ヨガでも、日頃から“今この瞬間”に意識を向けていく事を実践しております。傾聴=相談者さんが話しているその瞬間、に寄り添ってお話を聴かせていただければと思います。

Vol.7 えむ (2020/4/6 up)

夫の海外赴任に家族で帯同し、この4月で海外生活4年目を迎えます。 日本にいた頃、私は「どこでも誰とでも、その環境を楽しむことができる」と思い、過ごしてきました。しかし、初めての海外生活・駐在妻としての生活は、無力感との闘いでした。それは、20年以上続いた「自分で働いたお金で生活する」「いつでも自分の意思を大切にする」という2つのスタイルが崩れてしまったことが大きく影響しています。 そもそも、海外に行きたいと思ったこともなかった私。腑に落ちない部分を残したまま帯同したことで、うまくいかないことがあると、夫のせいにしてしまう日々。また、ここは日本人が少なくまとまっているため、常に「〇〇さんの奥さん」という目で見られ、言動に縛りがあります。いつでも周りに気を遣い自由な意思表示ができない、仕事もできない、気兼ねなくお金を使えない、社会とつながっている感じがしない、など、「ないないづくし」の生活から次第に無力感を感じるようになりました。そして、家事と子供の学校の役員の仕事に明け暮れる帯同生活がたまらなく嫌になったのです。 しかし、「愚痴を言い続けるために海外に来たのではない、『自分の人生の中に海外生活があって良かった』と思って帰国したい」と思うようになり、駐在妻のキャリアサポートコーチングをオンラインで受けることにしました。約半年間のプログラムを通して自分の中に眠っていた情熱に気づき、未来を描く作業を通して少しずつ自分がほぐれていくのが分かりました。そして帰国後の準備のためだけでなく、現地生活を楽しめるように行動が変化していきました。 ヘルプデスクとの出会いは、このコーチからの紹介でした。少し前までは私がヘルプデスクを利用したいと思うような状況でしたから、代表の志に大いに賛同。できることなら長く関わってみたいと思い、すぐに応募しました。それから1年以上が経ち、今は相談員としての活動は私の生活の一部となっています。 昨秋にヘルプデスクのトークイベントにスピーカーとして参加しました。その時のキーワードの1つに、「循環」がありました。「循環」とは、単に誰かのために力を注ぐ一方通行の関係ではなく、「自分は誰かの力を借りながら誰かのために行動している」ということです。そのような「循環の場」が、まさにヘルプデスクなのではないかと思っています。 モヤモヤを抱えた時、守秘義務が守られた安心安全の場で話すことは、大きな癒しにつながります。ヘルプデスクで心の荷物をそっとおろし、あなたらしい海外生活を送れるよう、私達が手助け出来れば嬉しいです。様々なお話を聞かせていただけることで、私も皆さんから元気をいただいて、愛を循環させていきたいと思います。

Vol.6 愛 (2020/3/16 up)

現在は日本で、駐在家族向けの家計相談などを行っている私ですが、アメリカで2年ほど駐妻として生活した経験があります。もともと環境の変化や海外生活が苦手な私は、夫の赴任が決まった時から不安でいっぱいでした。でも、赴任先は生活環境の整ったアメリカで、長期休暇には家族で旅行が楽しめるだろうと、できるだけ良い面に目を向けて自分を奮い立たせて渡米しました。 実際、アメリカ生活は楽しいこともたくさんありました。しかし、滞在期間の短さもあって、全体を通すと苦しみのほうが大きかった印象です。仕事を失った悲しみ。今後の目標が定まらない不安。海外での子育てのやりにくさ。これらは想像していた以上で、これまで経験したことのないほどの落ち込みや無気力感などを味わいました。何をしても日本と比べてしまい、これまで喧嘩など皆無だったのに、夫に不満や怒りをぶつけることもありました。自分が軽いうつ状態だったことは自覚していましたが、幸い大学で心理学を学んだ経験があったので、日々自分自身を癒す努力をし続けました。 私がヘルプデスクの活動を知ったのはすでに日本に帰国した後でした。「あのつらかった時期に海外こころのヘルプデスクがあったらどれだけよかっただろうか!」と思いました。話を聞いてもらうのは心のケアに役立ちます。当時もそのことは十分知っていましたが、夫は理系タイプで解決策を求めない相談は基本NG、親や友人は時差もあり連絡がなかなか取れない、日本人の友達に会う機会は月に1,2回程度だし、その上、時期が来れば本帰国してしまうのでなかなか仲良くなれない、などなど。深刻な悩みはもちろん、世間話をする相手すら見つけられずに「孤独感」と戦い続けていました。ヘルプデスクの活動は、かつての私と同じように孤独と戦う人に必ず役立つことと思います。 この素晴らしい活動を広げていきたい!という想いから、私も相談員として参加することをしました。現在は仕事や子育てて忙しい日々ですが、「少しはお役に立てたかな?」と思えたときの喜びを励みに変えて頑張っております。ヘルプデスクは利用してくださる方がいなければ続けることができません。どうぞお気軽に利用していただき、活動をご支援ください!ご利用をお待ちしております。

Vol.5 ともみ (2020/3/2 up)

夫の転勤で2000年にシドニーに移住しました。引っ越した頃は、子供もおらず仕事も始めてなかったので、知り合う人といえば夫の同僚しかいませんでした。近くに日本人の友人がいない状態が半年くらい続き、嫌なことも少ない代わりに、嬉しいことも少なかったと記憶しています。時々、日本の友達とメールをしたり、帰国時に会って話すくらいで、今考えてみたらおしゃべり好きな私がよく乗り切ったな、と思います。 当時の私は活字中毒気味で、持っていった旅行&移住ガイドブック4~5冊を繰り返し何度も読んでいました(小説だと内容を知ってるので何度も読めないけど、ガイドブックは丸覚え出来ないので何度も読めます、笑)。 その後、子供が出来、子供を通じて増えていったママ友から相談を受けることが増えてきました。でも「アドバイスしてもそのとおりに行動しない人がいる。なのになんで相談されるんだろう?」「どうせならアドバイスの精度を上げたい」と思ったのが、私が傾聴ボランティアを始めたきっかけです。いま振り返ると、ちょっと苦笑してしまいます。何故なら、カウンセリングや傾聴を学び始め最初に学んだのは「アドバイスやジャッジをしないこと」だからです。真剣に「解決能力アップ」を目指して学び始めたので「アドバイスしないんだ?!」は、目からウロコでした。それと同時に「だからうまく相談にのれている感覚が得られなかったんだなぁ」と合点がいきました。 さらに「話すだけで気が楽になる」「相手はもともとアドバイスを求めていなかった」「だからアドバイス通り行動しなかった」「ただ聴いてほしだけだった」という事に気づきました。 今ではボランティアや友人の話を聴いていて「気持ちを話すだけ」で元気になる場面に何度も立ち会っています。そしてその度に、聴いている私も勇気や活力をもらっています。 今でも私自身も度々話す側になっています。感情にどっぷり浸かってあたかもその出来事が今起こっているように息も絶え絶えに話しても、一通り話すと「話しているだけでするすると糸がほぐれる感じ」や「すっと光が差すように霧が晴れるような」ことが起こります。 「話を聴くだけで目の前の人が元気になる」なんて、わたしたち人間はお互いにどれだけ助け合っていることか♡と希望が湧いてきませんか? 私達が人に話したくなる時は、自分の大切な何かが聴いて聴いて、と言っているからだと思います。嬉しい話、悲しい話、重い話、誰にも言えない話、自慢話、映画の感想、など、何でも話してみてください。そして、話すことの良さを感じたら、たった1分でいいので身近な人や、今日あった見知らぬ人の話も聴いてあげてみてください。 私は、話し相手がいなかった頃を振り返って、どんなことでも気軽に話せる存在って大きいと実感しています。だから、話したくなったらどんな話でも良いので、ヘルプデスクで話してみてください。

Vol.4 みほ (2020/2/17 up)

思い返せば、海外と関わってきた間には「どうしてこうもうまくいかないことが多いんだろう?」の連続で、毎日心臓が縮んでいた日々を経験してきました。大学時代や就職後のプチ留学、アメリカで過ごした新婚生活、現在の子連れでの駐在員生活を通して、どうすることも出来ずに立ちすくみ、悩んだまま何もできなかったことが沢山ありました。 よく「経験しないと分からない」と言うけれど、『こんなこと経験しなくても良いのでは?』と、思うことだって多々あります。人生楽しいことばかりでは無い、と大人ですから分かっていても、「どうすればいいの?この気持ち!」が膨れ上がって、どうにもできない自分を発見することもありました。 でも言えない、 だって誰に言えばいいの? 主人にも言いにくい 子供にも申し訳ない 夫婦ケンカも増えてしまった 友達に言うのだって恥ずかしい、、、 どう伝えていいかも分からない 親にも言いにくい、言ったら心配され過ぎるかもしれない 私を知らない誰かに話してみたい 同情はいらないけど客観的な意見が聞きたいと、 自分の気持ちの行先き、問題解決の行先きを求めさまよったこともあります。それを乗り越えて「今」がある私にできること、それが、このヘルプデスクの相談員をしている事、だと思っています。 私はかつて独身で留学生活に挑戦しました。就職してからは、日米の働き方の違いで苦しんだ経験もあります。その後、 教育学を学び教職時代に見えてきた子供達のケアや、自らがコーチングを受ける側で得た知識なども、とても貴重です。3人の子供を育てながら体験した、日本と海外での学校内・外での異なる体験やそこで感じた事もたくさんあります。今では、海外で生活している日本人向けに、ファイナンシャル相談をさせてもらっていますが、逆にお客様から学び、教えていただく事も多いのです。私の「うまくいかなかった日々」にとっては、これらの全ての事が、貴重な体験・経験・知識となっています。 だから、ヘルプデスクの相談員になる事に、全く迷いは全くありませんでした。 私のように「うまくいかない」と感じている相談者さんの気持ちを聴きたい!その想いで相談員をしています。 精神科医でもない、心理学者でもない私、でも経験値と多くの学びを通して、お役にたてることが沢山あると信じています。うまくいかなかった事も含めて、私のしてきたことを、私の知らないどなたかのために、悩んでいる方のために生かせたらと、それは私の願いの一つです。

Vol.3 AYA (2020/2/3 up)

私は30になるまで『何をしたいか分からない、万年自分探し人』でした。女の転職は30までと言われた時代に、偶然興味を持った分野、人事系コンサルタント会社に、全くの素人で入社しました。失敗しつつ仕事を覚え、少しずつ成長し、挑戦と学びの中辛くも楽しく働いていました。幸いにも2回の産休・育休、復帰後も出張などに配慮して貰い、10年目、子供に手が離れ、業務も順調にが回り、憧れていたプロジェクトメンバーとして充実した日々を送っていたある日、帰宅した主人から 「ニューヨーク支店の仕事が決まった。」と。 それまでもシンガポールやロンドンへ行くかも、と言われても一向に決まらないので、少し前に言われたニューヨークのことも聞き逃し、まさに青天の霹靂! 主人はアメリカ人。いつかは渡米し、子供の学校は向こうでという話はしていたし、ちょうど長女がアメリカの義務教育開始の年だし、行くなら最善なタイミングです。次女も3歳、会社の引っ越しサポートもあり、総合的に判断して行くべきなのは明らかでした。 渡米の2週間前まで出張へ行き、1週間前まで勤務し、最終週は次女が水疱瘡になり、最後まで目の回るような忙しさの中、なんとかアメリカへ! 1年目は殆ど英語を話さなかった子供達のサポートに徹し、慣れない運転や手さぐりで子育てを学び、2年目に入り落ち着いた頃から、意味もなく虚しさを感じるようになりました。日本の友達の楽しい話、前職同僚の活躍について聞くたび「私は何しているの?来なきゃよかった」と落ち込む日々でした。そこで情報収集し、履歴書を送ったりもしましたが、40過ぎてアメリカの学歴も職歴もツテもない、職種は選びたい!なので収穫ゼロ。『私はここでは不要な人間なんだ』心底そう思いました。多忙で悲鳴を揚げていた日本の生活は充実していたと、今が惨めに思えてきました。「家族にとっては良くても、私は何もかも失ってしまった」と、主人に対しても「あなたのせいで!」と怒りました。 でも、 主人の仕事がきっかけだけど、決めたのは私。子供達のためではあるけれど、私の意思だ! そう思うと、目の前の霧が晴れ、清々しい気持ちになり、ワクワクすらしてきました。 それから、ゆっくりやりたいことを探し、コーチングの本場であるアメリカで10ヶ月に亘るコーチングコースを受け、苦労しつつテスト合格し、プロ認定コーチとなりました。以前の私と同じ、異国の地で頑張るけどちょっと疲れてしまった人々の気持ちに寄り添って、私の様に長く悩まずとも踏み出せる様にサポートしたい!という気持ちから、異文化コーチングビジネスをスタートさせました。 同時に、今まで私を支えてくれた人たちへの恩返しにと、ボランティアを探しましたが、時間的制約でほぼ断念した数日後、仕事のネット検索中に見つけたのがヘルプデスク代表のブログでした。「私が思っていることをしている人がいた!」と大興奮したことを今でも鮮明に覚えています。ボランティアの募集があると知り、興奮冷めやらぬままメールを送り、数日後には代表と話し、2018年11月から本格活動を始めました。 あれから1年ちょっと。今は、過ぎた時間にもう1年?濃い1年にまだ1年?と充実した日々を振り返っています。 今、私は相談員ですが、皆さんと同じ立場に数年前までいました。今でも誰かに話を聞いてもらいたくなることも少なくありません(メンバーに聞いてもらうこともあります)。ヘルプデスクに参加するようになって『人間って良いな』と思う瞬間が度々あります。ここでは聴くのも、話すのも『参加』です。ぜひ『人間って良いな』の瞬間を一緒に増やしませんか?

Vol.2 KANAKO (2020/1/20 up)

9年前、日本でイギリス人の夫と結婚し、その直後に、夫が海外転勤となりました。帯同するために、日本での仕事を辞め、最初は中東で暮らし始めました。その後、ヨーロッパの駐在を経て、2年前からアメリカで、夫と2人の子供と生活をしています。 度重なる転勤生活を経ながらも、日本では営業職やマーケティングの仕事を計10年以上やって来たこともあり「またいつかはどこかで仕事をしたい!」と望んいました。しかし、中東やヨーロッパでは、治安問題や就労ビザの制限に加え、出産・子育てで私自身に余力がありませんでした。幸い、アメリカに来てからは、子供達も保育園に入り、私も就労ビザも取得できたので、就職活動の末、現地企業で仕事を開始する事が出来ました。 ずっと働きたい!と思っていたので、仕事は楽しく、出来ればもっともっと働きたいという願望があります。しかし、実際ここは子育て支援ゼロの環境なので、病気がちで保育園を頻繁に休む子供を抱える私は、時間的に融通が利く仕事しかできません。また、主人がまた転勤する可能性が高いため、私の方は希望するような会社で一貫したキャリアを形成できないもどかしさを感じていました。 そんな折、友人が「海外こころのヘルプデスク24時」の相談員であるという話を聞きました。 「相談員という仕事であれば、居住地は不問で、時間の融通も効く。また、年齢不問で、長く続けられる仕事である。しかも、自分のこれまでの海外転勤生活、海外出産、海外就職などの経験を生かして、今、海外生活で悩んでいる方のお役にたてるかもしれない。」と思い、応募しました。 今回相談員として皆様のお話を伺う機会を頂けたことは、とても嬉しく、また非常に有り難く感じています。微力ですが、自分のこれまでのキャリア、国際結婚、海外出産・子育て、現地就労などの経験を活かしつつ、少しでも海外生活でお悩みの皆さんのお役に立てるよう頑張ります!

Vol.1 Naoko (2020/1/13 up)

日本在住Naokoです。私は駐妻として、アジアに2回帯同経験があります。 帰国後10年が過ぎようとした頃、相談員募集を見つけ「まさに私が海外にいた時に欲しかったサービスだ!」と速攻応募しました。在住当時はスカイプをしていた人もいましたが、まだ少数派。 私は高い国際電話代を払って日本へ電話していました(夫には内緒です) 。海外に居ると時間に余裕があるため、色々な事を考えてし まうんですよね。子供の学校、夫婦関係、自分の事。けれども、海外で知り合った日本人のお友達には気軽に話せないこともあるし、へたすると狭い日本人社会の中であっという間に広まってしまう危険も潜んでいます。ヘルプデスクのシステムを考えた代表は凄い! 私の場合、仕事を辞めて子供を連れて帯同しました。性格的にはどこでも楽しめるタイプだったので、それなりに楽しんできましたが、帰国するタイミングが長女の高校受験と重なったり、家を建てていたのでやる事も多く、コップの水が溢れるように私の限界を超えてしまい、パニック障害の症状がでました。 「夫は忙しいから、私が完璧にやらなきゃ!」 と、当時はアクセルとブレーキを同時に踏み続け走っていたんですね。 それでも何とか娘も進学校に合格し、家も完成しましたが、発作はその後の私の生活を脅かし、行動範囲も狭くなり、帰国後の生活は虚しいものに変わっていきました。 更年期の影響もあったかもしれませんが、まだパニック障害についての情報もあまりなく「なんで私が、、」というのが知りたくて、身体と心について(グラウンディング)深く勉強するようになりました。 お陰で「ママはもう50歳で死んでもいいや」なんて言っていたのに、とっくに越えてしまった今が絶好調!です(笑) 心の悩みは身体の反応となって現れるし、身体の不調は心へと影響が及びます。 そのしくみを知った今、あの長〜いトンネルの中にいるような不安感はなくなり、これからの人生が楽しみで仕方ありません。 勿論、帯同中も色々あったことを思うと、自分と同じように海外での悩みを誰かに相談したい、日本語でボヤきたい、1人になったときのザワザワした不安感を聞いて欲しい、と思った時に、利害関係なく話を聞く場所となり、楽になって欲しい、という気持ちで相談員をしています。「もっと楽に快適になるための身体教育」を仕事にしている私だからこそ、身体に繋がるココロも軽くなって貰えたらと願っています。 「あなたはあなたのままでいい」 と言う、当代表の言葉が好きです。 身体の癖も思考の癖も人それぞれ。正解、不正解はなく、今まで生きてくるのにそれが必要だっただけで、新しいオプションを選択してみる、という方法もあります。 皆さんとお話しできる機会を楽しみにしていますね。

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